11/14(土)定年女子カフェ@トークライブのレポート 【前半】

※写真は2020年11月14日のトークライブにて

 
私たち定年女子のロールモデルになる先輩女性が少ない、会えない…。
そんな声が聞かれたことをきっかけに、10年先を行く先輩女子にお話しを伺う新企画「定年女子カフェ@トークライブ」を開催。
11月14日におこなわれた第1回目のレポートをお伝えします。
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◆日時 : 2020年11月14日(土) 15時30分~17時30分
◆場所 : 各自のご自宅(オンラインでの参加)
◆先輩女子 :久保田 泉さん
薬剤師/自然療法スクールマザーズオフィス講師/日本ホリスティック医学協会理事
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久保田泉さんは1952年9月生まれの現在68歳。薬剤師の資格を持ち、長年、製薬会社にお勤めされていました。50歳で会社を自主定年退職し、その後はアロマテラピーの講師や日本ホリスティック医学協会の常任理事をされています。

定年女子カフェ店長の勝木は数年前、泉さんが講師をされていたアロマテラピー講座に参加し出会いました。じっくりおしゃべりする機会に恵まれ、バリバリ働く先輩女子だと知りました。伺ったお話はめっちゃ面白く示唆に富んでいて、これはぜひ定年女子の皆さんにシェアしたいと思い、今回お呼びしたのでした。

まずは、泉さんの会社員時代のお話からスタートです。

何くそ!負けないぞ!全力疾走していた会社員時代

泉さんが製薬会社に入社したのは1975年(昭和50年)。まだ男女雇用機会均等法がなく、女性は初任給から1万円違いました。自社製品の医薬情報を提供する学術や、白衣を着て試験管で実験する品質管理などの業務を担当された担当されたそうです。

薬剤師になるきっかけは獣医だったお父様。「子どもの頃から、病気の人が薬を飲んで元気になる、笑顔になる。それを見て不思議であり素晴らしいなと思って、薬剤師になりたいと思いました。たくさん病気があるけど、薬で治せるようになれば、みんなが笑顔になれるじゃない?」。

そうして希望通り製薬会社に入社し、薬剤師として働き続けていた泉さん、40代のお写真を見せていただきました。それはなんと、ショートカットで直線的でバリバリ働くキャリアウーマン。現在の柔和な優しい雰囲気のお姿とは対照的です。

「男並みに働かなくちゃってお化粧とか最低限にそぎ落として、大股で歩いているような会社員生活でした。いつも‟反発のエネルギー”で動いていましたね。女だから能力が欠けてるって思われたら悔しいもんだから、自分を駆り立てて。いつも何くそ、負けないぞっていう感じ。これはその頃の写真ですね」。

「始業前にトイレに行って、鏡の中の自分に絶対今日も大丈夫だからって、言い聞かせていました。中島みゆきの『Maybe』っていう曲が好きなの。この曲を頭の中で毎朝鳴らしながら、始業の時間を迎えていましたね。時間との競争と、自分の能力が足りないことへのもどかしさとか、そういうので、ピリピリに張り詰めていたかもしれません」。

働く女性にとって、その頃は大変な時代だったことでしょう。私たち定年女子は泉さんよりちょっと下の世代だけれど、共感するところがあるのではないでしょうか。

「製薬会社でそういう働き方をしたかったんですよ。誰かの補佐ではなく、本当に仕事をしたかった。だから自分が望んだことでした。でも、やり出したら思いのほか大変だった、というのがずっと続いた感じです」。

夕陽を見たい…。それがリセットのタイミングだった

そうしてバリバリ働いていた泉さんですが、50歳で自主的に定年退職をされました。そのきっかけは大好きな夕陽を見たときのこと。

「ビルの階段の窓から沈む夕陽が見えるんです。たまたまその時間に階段を降りていって。ここで立ち止まって夕陽を見たい、でも止まってはいられない。日没まで待って見ることができないんですよ、忙し過ぎちゃって。そのときに、沈む夕陽を見られない暮らしって変なんじゃないかって、すごく思いました。その5分すら待てない状況を」。

辞める時にあれこれ書いていたノートを振り返って見てみると「夕陽がじっくり見られる生活を選びたい」とあったそうです。そしてこうも思ったのだとか。

「定年は60歳。もしかしたら会社は1年2年は延長してくれるかもしれない、けれどそこで終わり。その後って、どうなっちゃうんだろう?って思いました。人が幸せに笑顔になることをずっとしていきたいしたいのに、会社に帰属していると、辞めたらそこで終わっちゃうじゃないですか」。

とはいえ、迷いは大きかったと言います。経済的なこと、周りの人からのお節介ともいえるようなアドバイス、会社でのキャリアを捨てること…。反対も大きかったけれど、泉さんはその先を見ました。

「65歳、70歳になれば会社は私を雇ってくれない。それなら、その前に自分で辞めて、もっと人と直接関われる仕事で何かできないだろうか、そう思ったわけです」。

その“何か”は、現在のお仕事である「アロマテラピー」。その頃、体調を崩したこともきっかけになりました。薬はそうそう効きません。薬に全幅の信頼をおいていた泉さんでしたが、薬は100点満点ではないということを実感します。薬を補うものを探し求め、アロマテラピーと出会いその素晴らしさを体感し、今は講師としてそれを伝える仕事をされています。

自主定年退職後の50代は、介護の10年

けれど、すんなりとアロマテラピー講師人生がスタートしたわけではありませんでした。退職を待つかのように、介護が始まりました。ご主人、ご自身のご両親の計4人、50代はほとんど介護が続いたそうです。

それと同時期に、アロマテラピー講師として働き始めました。「フルタイム勤務とは全く違って、親の介護をしながら自分のペースで働くことができました。だから両立できたと思います」。それでも、時々辛く感じることもあったのだとか。

「何しろ10年にもわたるから、途中で何回も嫌になっちゃうんですね。でも子育てと違って、介護が終わるときって親が亡くなるとき。それを待ち望んではいけないという理性の頭があるから混乱しちゃって、よく一人旅に出てました。帰ってくると、これであと半年はがんばれる!って。そうやって英気を養うことが大事でした」。

さらにこんな知恵も。「介護にせよ、仕事にせよ、自分の体と心を愛おしんで、よしよしって言いながら休養する時間は何よりも大事だと思う。若い人は何でも体力に任せて、勢いでできちゃうけれども、一定の年齢になればそういう時間が本当に必要だなと思います。人にもそう助言するし、我が身にも言い聞かせています」。

一生の縮小版が一日、と考える

そんな泉さんに、ふり返って楽しかったことは何ですか?とたずねてみました。

「たくさんあります。私、小さな幸せ探しが天才的なの。だって沈む夕陽の美しさで喜んじゃうくらいですから、何でもうれしいんですよ。

今はね、毎朝目覚めることが「奇跡」だと思っています。眠っているうちに亡くなることだってあるわけですし。よく今日も起きられたな、みたいな。寝る時は、今日は本当にいい一日だった、と思いながら眠るようにしています。一生の縮小版が一日だと思っているんですよ」。

「今日一日の拡大バージョンが、私の一生。最期のときに、いい人生だったなと思いたいですね。今はそれに向けての練習ですね」。

そして、それなりに稼いでいた会社員時代から、辞めて収入が減る不安や残念な気持ちはなかったか?とたずねると…

さて、泉さんは何と答えたでしょうか?
続きは後半で。

 
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